ドイツの友人から届いたのは二通のクリスマスカードだった。几帳面なアルファベットを烈は黙読する。自分の名前と、弟の名前が並んでいる。
「エーリッヒ君とミハエル君から。カード来てるぞ」
どたどたと足音を立てて入ってくる弟に烈はカードを示す。
「なんだよ」と、首をひねる弟は身長と手足はひょろひょろと伸びたものの、小学生のときのような騒がしい動きは変わらない。
「ミハエルのやつ。わざわざ変なの」
「毎年送ってくれてるだろ。お前も一回くらいは返事を書けよ」
なんで昨日渡さなかったんだろ、あいつ。と豪は不思議そうだ。
「ミハエル君、日本にいたのか」
ドイツの貴公子は、ずいぶん日本が気に入ったらしい。定期的に開催されるレース以外も、しばしば彼のSNSには日本で撮った風景が投稿されている。その中には星馬家で過ごした時分のものも、いくつか含まれている。
弟と同じく、ドイツの彼も奔放さは変わらない。振り回されるチームメイトの苦労がしのばれ、烈はため息をついた。
「京都行くって。わさびがどうのとか、言ってた」
絵本の一頁を切り取ったみたいなカードを豪は覗き込む。
ふぉーえうぇい、とわかったように呟いているが、絶対にまっっったくわかっていない。
これでいて世界中に友人が多いのだが。
烈よりもずっと多いかもしれない。
弟の操る小さな四駆は、言語や文化の壁を超える力がある。
「なんて書いてあるんだよ?」
「メリークリスマス、いい年を、ってさ」
そういえば、ミハエルのやつ、正月は鍋食べたいって、と豪が続けるので、どうやら一週間は滞在するつもりらしい、と烈は察した。

――すみません。どうぞよろしくお願いします。
エーリッヒのメッセージはいつも丁寧だ。画面の向こうで恐縮している様が目に浮かぶようだった。やはり、この度の来日について、チームメイトには報告がなかったようだ。
――豪とは連絡取り合ってるみたいなんだけど、悪いけどこちらからのメッセージには既読がつかない。
――いつものことです。お手数ですが、ゴウ・セイバにもよろしくお伝えください。
――なにかわかったら連絡するよ。
打ち込んで、烈はSNSを立ち上げた。いくつかのメッセージを確認して、広告目的のものは削除する。ミハエル自身は一ヶ月ほど、己の情報を更新していないが、名前と愛称、豪から聞いた観光地の名前を組み合わせて検索すると、いくつか彼の足取りは追えた。
(まあ、大丈夫だろうけど。心配性なんだろうな、俺もエーリッヒ君も)
つくづく損な性分だ。自覚はある。
雪の中で、ファンの男女とミハエルが笑顔で写真に収まっている。三年ぶりの雪、と確かニュースでは言っていた。昨日ミハエルが訪れたという和菓子屋の情報、目当ての銭湯が閉店していてがっかりしていたようだ、という目撃証言、水族館のサンショウウオのコーナーから一時間くらい動かなかったという情報……ちょっとした芸能人並みだ。
(あれ)
通知が流れてくる。
――シェアしました
ミハエルだ。どうやら、今ちょうど画面の向こうにいるらしい。
確認して、それから烈は少し驚いた。
数ヶ月前の写真だった。青い空に、地平線まで広がる穏やかな海。アメリカの西海岸の地名が付けられている以外は、テキストでの情報はない。
「兄貴、飯だって」
タイミングよく、豪が(そうだ、いつだって弟はタイミングがいい。神に愛されているみたいに)部屋に戻ってくる。
「げ、カルロじゃん」
……大会が終わった後も、出場した選手達とは繋がりがある。直接顔を合わせなくても、手紙やメール、SNSで。
一方で、まったく連絡が取れないチームもある。ロッソストラーダが、それだ。二年前に、チームのリオーネが音楽院に入学した、という知らせが数行、ニュースサイトに掲載された程度だ。
青い空を背景に、サングラスをかけたカルロ・セレーニはそっぽを向いている。表情は伺えない。テーブルにはプラスチックカップに並々と注がれたオレンジジュース。
「あいつ、まだアメリカいるのか」
「知ってたのか」
「あれ、去年兄貴が留学してたときにあいつもいたじゃん、アメリカ」
「聞いてない」
「言ってなかったっけ」
烈の留学先を訪れた際に、街で見かけたのだと豪は言う。声をかけて、喧嘩になって、レースをしたと。
「大事なことだろ、早く言えよ」
「いやー、言ったつもりでいたんだけどなあ……」
豪が頭をかく。アメリカでも弟はレースばかりしていた。
「けど、マサチューセッツからはだいぶ離れているぞ、ここ」
烈はボールペンで写真を指した。テーブルに逆さまに広がる、歪み、それでも真っ青な空、英語のロゴが印刷された二つのカップ。天に伸びるストロー。カルロと、もう一人。
縁に邪魔されて、対峙する人影の全貌はサングラスからは把握できない。
カルロに寄っていない方のカップには、半分ほど液体が残っている。柔らかな容器はいくぶん潰れ、潰すのは指が、美しい形の爪が、テーブルの飾りのように輝いている。
「チームメイトじゃないのかよ?」
豪の推理は単純だ。
「そう、なのかな……」
烈は目を凝らす。まるで色とりどりの布帛を縫い合わせたような細工が施された左の手の中指の爪、ストローを汚した口紅を隠す爪、獣の爪……沼の色の鏡面に沈む指輪のようにも見える爪。何にせよ、彼が一人ではないこと、レースを続けていることは喜ばしいことだと思った。


20221127