父親の声は蓮を苛立たせない。
話す内容もまた。
さざなみすらも起きない(自分はさざなみを願ったことはあったのだろうか、もう今となってはどうでもよいことなのだけれど)。
父親の言葉の後ろに、母親の気配を蓮は探す。母親が己に望んでいること……意識に浮かんでいるものであっても、沈んでいるものであっても……逆に蓮の態度に引っ掛かりを覚えているか……これは無意識が重要だ……表に現れる頃には、すでに噴火を止める術は限られている。
父親の声はのんびりしている。
母親と足して割ればよいのに、と学生自体は思っていたが、どうせ鬱陶しいのが二倍になるだけだ、と最近は思い直した。
小学校のときのアルバムを送ってくれ、という要求にうんうん、と頷いている。
(全部、だとバレるか)
別にびくびくすることなんかない、子供だったのはずっと昔、むかしの話だ。
「ごめん、やっぱり」
いくつか指定をする。覚えられない、と父親が言う。
「……あとで文字で送る」
母親は父親のメールは見ない。関心がないのだと思う。子供の教育への情熱は伴侶への興味まで焼き尽くしたのだろう。たぶん、きっと。
自分がピアノを弾いていたときの、父親の顔を蓮は思い出せない。発表会に来たかどうかも、曖昧だ。
(じゃあ、釣り合いがとれてるってことになるのかも)
そして動画のために、思い出を切り売りする仲介人としても、父親は役に立つ。
(ビジネスライクな関係ってやつかな)
……動画で、父親の話題はほぼ出したことがない(母子家庭じゃなかったんだ、というコメントがきたこともある。そういう考え方もあるのか、と新鮮だった)。
母親の話になると、コメント全体の色が変わる。ぽつぽつと、家庭の不満が書き込まれ、憐憫のことばと、安っぽいハッピーエンドを望むことばと、
(母親に凸、ねえ……数字になる人じゃないんだよな)
それがめんどくさくて、最近は母親の話もしなくなってしまった。

父親のメッセージの絵文字はいつも、どこかおかしい。
(使うの、来月くらいかな)
どこの家も父親はこんなものなのだろうか。
母親は、ああじゃないとわかっているけれど。
(あの人にも母親……まあ、いるんだろうな)
背が高いんだろうな、とは蓮は想像する。それ以外は……女性であることくらいしか思い描けない。
(ユーストが始まった瞬間から、ギンガが生まれていればいいのに)
配信のときだけ存在していればいい。
(だったらさあ、俺の知らないギンガなんていないわけだし)
そうだったら、自分の勝ちだ。
(俺の知らないギンガなんて、必要あるのかな)
携帯端末を睨む。
光る。
父親からだ。
(うわ)
電話のときは一言もいわなかったのに、母親の話題。
監視しているみたいに、母親の影が水の底から急浮上して、接近してくる。
母親が町内会で活動していること(してそう)、友達と旅行にいったこと(温泉嫌いって言ってた癖に)、最近の趣味の話(もっと前から、何かしら趣味を始めていればよかったのに)。
改行が奇妙な父親のメッセージは可読性が悪い。
(……)
途中の母親がはまっている俳優、の名前を蓮はもう一度確認する。初めて聞く名前だ。
検索窓に打ち込むと、簡単なプロフィールと写真がずらりと表示される。
立っているのが馬鹿らしくなって、蓮はベッドに座り込んだ。
(なんだこれ)
世を拗ねたような表情、少し垂れ気味の目つき、白い部分が目立つ眼球、くっきりとした眉毛に背の高さを気にしているような猫背にがっしりとした首、無駄に広い胸板。
(ギンガに似てる……いや、やっぱり似てない)
「……気持ち悪い」
はやく飽きろ、と蓮は呟いた。
(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い)



20221204