一日目 08:00
前をずんずん進む小柄な背中に向かって、設楽兵助は毒づいた。もちろん声に出さずにだ。密かに毒づいた数はもう何度ともしれない。地面を蹴り上げると、草がちぎれて風に飛んでいった。
(めんどくさい)
設楽がいらいらしているのは、ただそれだけが理由だ。
「あのさあ、キャプテン」
「なんだよ」
筧一弥が呑気な返事をする。いい気なものだ。この状況がわかっているのだろうか?
「ここさ、禁止エリアの近くじゃねえの?」
「うん。一時間前にあそこが禁止エリア」
それが何か? と筧は言い放つ。
「……わかってんのかよ」
これは心中ではなく、小声だ。
「びびってんだ?」
「びびってねーよ」
恐怖、というより設楽はただ面倒なのだった。出発点付近まで舞い戻るのも、部活以外で筧の言うことに従っているのも。
(別にキャプテンと一緒にいる意味なくねえか?)
確かに、誰かと行動した方が殺される確率は低いだろうと設楽は思う。去年選抜に選ばれなかった設楽からすれば、よく知らない人間よりも、気心の知れた(本当にそうなのかはいささか疑問だったが)筧とかの方がやりやすいのかもしれない。
けどそれは自分も、そして相手も充分に威力のある道具を持っていれば、の話だ。
設楽と会ったとき、筧は手ぶらだった。
デイパックは、と尋ねれば落としたと言う。
突然銃声がしたときに落としてしまった、と。
「取り行くから、来いよ」
筧が言い出したのは、二時間ほど前で、雨宮が禁止エリアの発表をした直後だった。
「俺のさ、落としたバッグって禁止エリアのあたりなんだよね」
(は?)
設楽の返事を聞かずに、筧はもう立ち上がっていた。
(ちょっと待てよ)
引き留めなかったのは、これまた面倒くさかったからに過ぎない。だが今ではそれを設楽は後悔していた。
「兵助って見かけよか繊細だよなー。大丈夫だって」
(何がだよ)
筧のこの、他人をファーストネームで呼ぶ癖に設楽は未だに馴染めない。最初こそ「男に名前で呼ばれんの気持ち悪い」と主張していた設楽だったが、結局しつこく呼び続ける筧に根負けした形になった。
木々の隙間を軽々と筧は抜けていく。そういえばキャプテンって試合のときもちょこちょこ動き回ってたよな、と設楽は思い出した。そういうプレイスタイルなのだ。
「だってここH-8の近辺だし」
朝だというのに、うっすらと設楽の背中は汗ばんできた。筧がほとんど汗をかいていないようなのが小憎たらしい。伊達に二年間もキャプテンを務めていない。小柄なわりに体力がある。
「禁止エリアって入っちゃったら、どかーん! って」
筧が大げさな身振りをして見せた。それが設楽には不快だった。
「だからそんな危ないとこにフツー近づかないって」
「ふーん」
「そ、逆に安全、安全」
筧が主張したいのは殺意を持った人間と爆弾とどっちがより恐ろしいかという話らしかった。秤にかけて、筧は後者をより安全と判断したのだろう。設楽もその判断に異論はない。
もっとも、この場に明星中から選ばれたもう一人の男、鳴海貴志がいたらその判断には反対したような気もする。見かけよか繊細、と筧に設楽は評されたが、設楽から見れば自分でなく鳴海こそその形容に相応しかった。赤みがかった長い髪に、中学生離れした体格を持つ鳴海は一見傲慢で自信家な性格だった。ただし実力が伴っているため、部活でも表だって反発する者はほとんどいない。設楽は鳴海のそうした面は嫌いではなかったし、鳴海の陰口を耳にする時期にはすでに鳴海の面倒見のよさや貧乏くじを引きやすい側面を知っていたので、まあうまくやっていた。
しかし鳴海は設楽が呆れるほどに、ロマンチストだった。
鳴海と筧と設楽。三人のうちで去年選抜に残ったのは鳴海だけだ。その選抜の遠征で鳴海は恋をした、らしい。惚れっぽいからな、あいつ。と設楽は醒めた目で鳴海を観察していた。相手は年上の働くお姉さんで(鳴海の好きなパターンだ)、試合を退場させられたときに知り合った(鳴海らしいへまのしかただ)……という情報も、鳴海のことばの端々から設楽はなんとなく把握していた。面倒見がよく、惚れっぽい鳴海。あいつだったら爆弾の方が危険だと考えかねない。
(鳴海、うざいから)
うざい、は悪い意味ではない。鳴海のうざったさが設楽は懐かしかった。
「何が入ってた。デイパックの中身って」
「わかんない」
確認する前だったから。筧がつけ加える。
「使えないものかもしんねーじゃん」
「ないよりましだって。あの中、食料とか地図とか全部入ってるし」
「兵助は」と尋ねてくるのを、設楽は無視した。
「言えって」
しつこく筧が尋ねてくる。
「ストロー。折れるやつだけど」と設楽は嘘を吐いた。本当はサッカーシューズが一足、入っていた。こんな状況でなければラッキーな贈り物だった。ただ筧にも設楽にも合わないサイズの靴だったので。
自分の持ち物も役に立つものではないけれど、筧は支給された武器をなくしている。そう考えると、設楽はわずかな優越感を覚えた。
「使えねえなあ」
「……まあね」
――お前はデイパックを落としたくせに!
瞬間、設楽がむかついたのは、設楽を眺める筧がしたり顔だったからだ。基本的に「めんどうくさい」と「めんどうくさくない」ものの二つしかない設楽にとってはそれは珍しいことだった。サッカーはめんどうくさくない。鳴海はめんどうくさいけど嫌いではない。
「ま、いっか。行こう」
筧はまた設楽の了承を得るより先に決定する。おとなしく従ったものの、設楽は怒りをはらんだ目で筧の背中を睨みつけていた。さっきよりも確かに、感情の温度は上がっていた。
「ここらへんなんだよな」
「ここまで探したんならもうないんじゃない」
筧の返事ははっきりしない。
「拾われたのかも」
「落とし物は交番にって習ってないのかよ」
筧はぶつぶつ言っているが、
(人を殺してはいけませんってことにそもそもなってるのに)
プログラムの中では人を殺すことが推奨されている。筧が不満そうなのがおかしく、設楽は少しだけすっとした。早く離れようぜと提案しないのもそのためだ。
「本当に、ここなのか?」
「わかんない」
「あっちかも」
周囲は似たような木が林立している。夜目ならば、はっきりわからなくなりそうだった。地図を横目で確認しながら、慎重に設楽は動いていた。ここは禁止エリアに接近しているから、へたに動くと(筧がちゃかしたみたいに)危ない。筧の動作は迷いがないが、きちんと禁止エリアは意識しているようで、曖昧な場所は避けている。
設楽は死にたい、とは思わない。だからと言って誰かを殺したいともあまり思わない。ただ
(爆死ってかっこわるいよな)
とは思っている。なるだけ首輪の爆発は避けたかった。
はいつくばって茂みを覗きこむ筧はどこかこっけいだった。普段は長すぎる前髪に隠れているが、筧の顔は世間的には美形と分類される。その筧が犬みたいに手足をついている。俺も似たようなもんだけど、と草むらをかき分けて設楽は自嘲した。もし誰かに見つかっても、犬が二匹だ。見逃してほしいものだった。
だけど筧は小さいから、余計犬らしい。と設楽の考えが伝わったのか、筧がくるりと振り返った。そして
「兵助って俺のこと、嫌いだよね」
とだけ言った。
「は?」
「ま、いいけどさ。人って自分よりいいものにしか嫉妬しないって言うし」
「あのさあ」
設楽は思わず立ち上がった。わざわざ探してやっているというのに、なんでこいつにこんなこと言われなきゃいけないんだ。
「たまに俺にいらいらしてるし、俺に勝つと嬉しそうじゃん。貴志にはそんな顔しないよな」
鳴海は筧にファーストネームで呼ばれても文句を言わない。鳴海は筧とは小学校からのつき合いだから、筧のこんな性格にも慣れっこだから――
「はは、すげえ顔。そんな顔、兵助もするんだ」
「うるさい」
「じゃ、あっち探そうぜ、あっち」
筧は独善的だ。「おもしれえ顔」と重ねてくる。
「キャプテンって本当、いい性格だよな」
「それ、よく言われる」
だいたい筧は中学一年のときから支配的な男なのだ。兵助って呼ぶから、と言い出したときも、先輩を押し退けて部長に就任したときも。こんなむかつく表情だった。
(あ、じゃあ昔から俺、キャプテンが好きじゃなかったんだ……)
何かが腑に落ちて、設楽は筧を眺めた。筧の目がじっと自分の足元に注がれている。
筧の顔色は青い。
「なに?」
筧の視線を追った設楽は、自分の足元、それも本当に小石一つほどの距離もないところに湾曲したパイプがしかけてあるのに気がついた。パイプは両端と真ん中を小枝で支えられていた。
(何だこれ)
罠?
何でこんなところにちょうどよく罠があるんだ?
「へいす、」
設楽の思考は平静だったが、体はそうではなかった。伸ばされた筧の腕を設楽は思いっきりはねのけた。筧がよろける。反動で設楽もよろけて、地面に手をついて、そしてそこには――絶望的なことにロープがあった。
自分の左手がロープをつかみ、パイプの片端が枝から外れる。しなったパイプは物凄い速度で設楽ではなく、パイプを挟んで向こう岸の筧の体をはじき飛ばす。タックルを食らったってああは飛ばない。
歩いている際に、確かあの巨木の向こう、空き缶がたくさん捨てられてる手前から禁止エリアだよなと設楽は何度も自分に言い聞かせていた。筧の軽い体が空き缶の山に突っ込んでカラカラと音をたてる。山の天辺から空き缶が設楽の方まで転がってくる。100%オレンジ、天然果汁。
「キャプテン!」
叫んだはずだったが、掠れた空気しか出なかった。早く出ないと、だってあそこは、あのエリアは、
「筧!」
筧が空き缶に埋まって、のろのろと設楽を見た。あいかわらず青ざめていた。首輪がピ、ピ……とかすかに鳴り出す。電子レンジの設定時間が終わったみたいな音、ストップウォッチの終焉の音だ。
「兵助、ごめん、俺ちょっといらいらしてた」
「そんなの今はどうだって」
「貴志に」
貴志によろしく。
どん、という耳を塞ぎたくなるような音がして、ちょっとだけ土煙が上がった。軽いちりちりとした音、きっと空き缶のはぜる音だ。
目を見開いて、設楽は煙を凝視した。砂利と微細な金属片は頬で受けた。やがて薄れた煙ごしに、小さな体、あのちょこまか動くのに汗一つかかない体から、ゆっくりと筧の頭部は溶けかけのアイスクリームみたいに崩れていった。
一日目 08:17 筧一弥死亡
【残り三十三人】