■青←鏑♀です。部活の皆で海に遊びにきたよって話ですが、青八木先輩と鏑木君しかほぼ出ません。
■モブ幼女が出ます(台詞とかはないです)。
「青八木さん」と発声したつもりだったが、潮風に紛れて鏑木の語尾は間延びした。
「……」
返事はないが、聞こえているのだろう。黙々と砂を積み上げながら、青八木の視線がつるりと鏑木を撫でる。そうだよ、そこですよ。いけ!やっちゃえ!
ほら海、海だし。海といえば水着だ。水着。
「水着!」
「……知ってる」
だからなんだ、という顔を青八木はしている。見慣れた表情だ。
砂の入ったバケツを、青八木がひっくり返す。
「みんな水着だろ」
青八木の弁はまったくもってそのとおりで、テントの影でいか焼きを食べるカップルも、波打ち際ではしゃぐ家族連れも、砂場セットを持ってキラキラした目でこっちを見ている子供も、全員水着姿だ。
「ですね。で、水着の意味わかってます、青八木さん。大事ですよ水着は」
「水着に意味あるのか」
言いつつも考えてくれるところは、青八木の美点である。
返答のマイペースさに、鏑木は地団駄を踏みたくなる。周囲を見渡して、止める。青八木だけではなく、この砂浜のそこここでは砂製の建築物を建造する人間が散見されるからだ。未完成の建造物には、鏑木の足踏みは著しいダメージを与えるだろう。
しゃがんでいる青八木の剥き出しの肩甲骨がぐりぐりと動く。あの部位は今太陽の匂いがするのではなかろうか。考えて、鏑木はため息をつく。
新しい水着も、鏑木の腹の露出も、青八木には大して意味を持たない。
「……水買ってきますね」
わかった、と青八木が頷く。まるで部活の最中みたいだ。
引いていく白い波の向こうで、鳴子と小野田がはしゃいでいる。といっても、小野田が一方的に水をかけられているのだが。
(何やってるんだ、小野田さん)
濡れて逃げ惑いながらも小野田は楽しそうだ。口がはわーという形に動いている。
今泉は見えないが周辺を泳いでいるのだろう。浜辺にいると声をかけられて鬱陶しい。とぼやいていたので。
水を二本、鏑木は自動販売機から取り出す。
(海だろ、海)
部活動は休みだし、しかも海だ。それこそ海釣りとかスイカとかサーフィンとか、競争とか、小野田達みたいに水をかけあうだけでもこの際、いい。
(何で砂遊びなんだよ……)
選択肢が無数にある中でのこのチョイス。しかも高校生男子の自主的な!
青八木さんは何歳なんだ、小学生なのか。俺も段竹に子供だとは言われるが、青八木さんだって子供だ。だいたい俺の新しい水着見ても感動しないし、そりゃあ凹凸に乏しい体ではあるが
(もしかして青八木さんはでかいのが好きなのか――!)
ありえる。
思い至って、鏑木は青ざめた。
今までは自転車に乗るのには有利だし、肩も凝らないと気にしたこともなかった体型だ。
(遺伝だっけ……いやまだ成長期だ)
一年後、二年後まで待てばおそらくは。
(可能性はなくは、ないよな)
「一差」
ぐるぐる回る鏑木に、声がかけられる。段竹だ。
「腹大丈夫か」
「ああ、心配するな」
手嶋さんは、と聞くと寒咲さんのところに電話をしているという。
「帰りの道が混むかもしれないから」
「多いもんな、人」
「一差、泳がないのか」
「ん……まあ今日はな」
段竹と話すうちに、だんだんと落ち着いてきて、鏑木は首を振る。目線の高い段竹の顎を、しげしげと観察した。
昔から段竹とは一緒だ。小学校卒業まではあまり変わらなかった身長も、いつの間にか抜かされてしまった。同じトレーニングをしても、段竹の方が筋肉量が増える。
「手嶋さんいないから青八木さん寂しいだろうし」
鏑木は段竹の背後に回る。引き締まった背中だ。だが段竹の肩甲骨の匂いを嗅ぎたいとは思わない。骨のでっぱりが落とす影や、筋肉の動きを眺めるだけでどきどきするのは、青八木だけだ。
今まさに城にトンネルを開通させている青八木。
「それに青八木さんが砂いじってるの、結構面白いぞ、段竹」
背筋を突こうとした腕は段竹に躱される。
「ハハッ、読まれていたか」
結局、青八木の砂の城が落成するまでを鏑木は観測した。
三つの塔と立派な城壁を備えた城を青八木は、暑さで頬を上気させながらも満足そうに城を眺めていた。
「よかったんすか」
「うん」
噛みついた亀のように、青八木が城に執着してみせたのはそこまでだ。
「よかったら……」
と、城の基礎から仕上げまでをちらちらと気にしていた女児に、あっさりと青八木は城を明け渡した。壊れやすいけど、とぼそぼそとつけ加えて。
「確かにめちゃめちゃ青八木さんを見てましたね、あの子」
「そんなにか」
「母親と一緒にうろうろしてましたよ。ちら見しながら」
青八木がペットボトルに額を押しつける。ボトルごしに歪む輪郭と、呼気の音を鏑木は息を止めて記憶に焼きつける。
「たぶんあの子青八木さんのこと、信じましたよ」
薄い眉を触りたくなる衝動も抑える。
「お城をくれた青八木さんのことを、王子様だって」
「は?」
今日初めて青八木さんの驚いた声を聞いた気がするなあと鏑木は思う。
「だって青八木さん髪長いし、金髪だし、お城持ってるし」
絵本に出てくる王子は皆そんな感じだ。水着はたぶん着てはいないが。
子供の空想の世界に接続するには、充分な材料だ。
(夏休みに海で王子様に出会うとか、どこの漫画なんだ)
「染めてるだけだぞ」
本気に受け取っていない口調で、青八木は流す。ぼんやりと地平線の先を眺めている。夢見るような目、と形容できなくもない。
「城も砂だし」
そういえばその水着、ドレスみたいな柄だなと言いながら。
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