休日に手嶋がよく行くというコーヒーショップは、花屋のような外観をしている。橙色の家庭的な明かりからぐっと目を逸らすと、大きな青白い看板が立っていた。
「寄るか」
青八木が問うと、鏑木は「はい」と首を縦に振る。広大な駐車場まで、青八木は先に立って自転車を飛ばした。300m先からも見えるのだから、覚悟は万全の筈である。自転車だと一瞬、ではあったが。
降りたのは青八木が先だったが、自動ドアには鏑木が率先して入った。電子音に「いらっしゃいませ」と店員が追随する。鏑木はあたりを睥睨して、アイスケースから直角に曲がる。実に偉そうな動作だった。
眺めていると、鏑木は傲然と店の奥に進んで行った。雑誌の棚の前で再び折れ、通路の蔭に消えた。
(よし)
内心で拳を握り、青八木は入り口付近の棚を後にした。そのまま速やかにレジに向かう。


「青八木さん!」
会計を済ませた鏑木が駆け寄って来る。手には案の定、オレンジビーナを持っていた。
「遅くなってすみません!」
「いや」
構わない、と頷いた。体温の高い掌に握られて、ボトルの表面は既にじっとり汗をかき始めていた。
「……」
冷蔵庫にメモを入れたら、どうなるだろうと思う。鏑木の買ったオレンジビーナの横に、例のメモ用紙がある。鏑木は神の仕業だと思うだろうか。家の中に、二人しかいないのに。
(いや)
何を考えているんだ、と馬鹿馬鹿しくなった。ろくでもない冗談で、他人を試すべきではない。今日の自分は動転している、と青八木は思う。万全を期したつもりでも、身体が逸り、小さな契機で心臓が早鐘のように唸り出す。
(どうかしている)
だが、それも当たり前だ。
「青八木さんは、何買ったんすか」
悪気ない表情の鏑木を「少しな」とはぐらかす。後輩がどこまで考えているのか、青八木には正直わからない。罪悪感を刺激されながら、「帰るか」と提案した。
「はい!」
ピンポン、と電子音に送り出されて、コンビニを後にする。透明の扉が閉まると、あとは淡い夏の宵闇だ。鉄柵に縛り付けた自転車を解放し、共に走り出す。
「楽しみですねー」と鏑木が言う。
「夕飯、ハヤシライスなんですよ。家で食ったことないやつ作って、って頼んだんです、先輩が泊まり来るから」
「そうか」
楽しみだな、と相槌を打つ。だが内心、気が気ではない。また鼓動が騒ぎ始める。青八木の心も知らず、鏑木はただ誇らしげだ。
「そうでしょう!
米も一升ありますから」
俺の先走りだったな、と徐々に思い始めていた。パーカーと市販のレーサーパンツの自分に対し、鏑木は真新しい総北ジャージそのままである。身元も年齢も、隠そうという気がない。
「電気釜、すごいな」
「でかいんですよ。うち六人いるんで」
レギュラーと同じ数ですよ、と反応に困る比喩を使う。そうだな、と顎で応じていると、急に声色の明度が落ちた。
「でも、今日は二人ですよ」
いつも大言壮語する口が、意味深長に弧を描いている。逆光の月が、大人びた子供という風情の面に、影を作る。
「……」
皆目わからん、と青八木は思った。ポケットに押し込んだ紙箱は、青八木の煮え切らなさを責める如く、チクチクと角の存在を主張していた。




(完)

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