ステージの上を、三年生の後ろ姿が次々と流れて行く。皆正装なので、一様に黄と緑の上下ばかりでかわり映えがしない。改めて見ると派手な色使いに、眺めていると目がちかちかした。
卒業式とは基本的に暇なものである。例外は小学校ぐらいだ。小学校では、卒業生が一人一言の台詞を覚え、順番通りに唱えて行く儀式があった。鏑木の担当は「みんなで力を合わせ戦った、運動会」だった。うんざりする程練習をさせられたので、よく記憶している。
じゃんけんで勝ち取った台詞ではあったが、本当は運動会で力を合わせた覚えなどない。鏑木は徒競走で一位を取り、リレーで一番手を走り、騎馬戦で掴み合いになって担任に怒られた。自身は活躍したと思うが、クラスという意識は薄かった。
だが、やはり小学校は例外である。一年前に卒業した中学校では、証書をもらう際の所作と起立するタイミング以外気を払うところがなかった。壇上での手順は念を入れてシミュレートしていたが、終わったら気合が抜けて居眠りをしてしまった。
卒業生側ですらそうなのだから、在校生側の暇さは尋常でない。役職持ちを除いて、ただのギャラリーだ。果たして高校の式次第も中学のそれと大差ないものだった。
知った名が呼ばれれば気が紛れるかもしれなかった。だが自転車競技部からの卒業生はたったの四人であり、しかもその機会のうち三回は、既に使い切っている。古賀と手嶋が1組、メカニックの谷口は2組。後はもう一人しかいない。
(青八木さん、何組だっけ)
中途半端な数字だったな、と鏑木は考える。教えてもらった時「1じゃないんですね」と口を尖らせたことは覚えている。その時の返事は「1組は理系だ」というものだった。
「3年、7組」
回想中に意識が途切れたようで、生徒を呼び出す担任が、いつの間にか男声に変わっていた。くぐもった声色が、やや怪しい発音で、己の出席番号1番を宣言する。
「青八木、一」
「はい」
吐息の成分の濃い、しかし存外に通る返事が、体育館の埃臭い空気を貫いて響いた。
青八木はまっすぐに背筋を伸ばし、着実に壇上へ上がって行く。冴えない照明の下にあっても、青八木の金髪はきらきらと輝いている。
「金髪すげえ」
自転車部だ、と周辺が軽くざわつく。鏑木が一瞥すると、声の主は沈黙する。
(そうだ、自転車部だ)
黙るなら最初から黙ってろよ、と冷ややかな心地で考える。自転車部の1年レギュラーたる自分の存在は、周知の筈であろう。それに。
(俺は知っている)
総北の校則は自由である。青八木の髪は、今日のために手づから染め直されている。鏑木はその経緯を、部室で本人から聞いている。
「ひまわりの黄色だ」
ゴッホの、と鏑木も名を知る画家の名を、青八木は挙げた。いい色ですね、と褒めると照れたように笑い「少しオレンジを入れて見た」と教えてくれる。
「すごいっすね、自分で染めたんですか」
俺は床屋で、と言うと青八木は意外そうに呟いた。
「てっきり美容院かと思った」
「いやー美容院はちょっと。美容師が女ばっかで」
「そうか」
俺も切るのは美容院だが、と首を傾げている。鏑木が「えっ」と声を上げると「別に喋らなくてもいいぞ」と補足するのだった。鏑木はただ感嘆の意を示したのだったが。
それにしても、青八木の金髪は得も言われずよく染まっている。これが春から美大に通う色彩センスか、と鏑木はどこか遠くに来年度の出来事を思い浮かべる。だが来年度と言うものの、一か月も離れていない。
「俺も染めてみたいです」
青八木さんの髪、と告げた時、青八木は露骨に顔をしかめた。
「厭だ」
まず自分のを染めてみろ、と付け加える。「どうしてですか」と問えば「毛根が死にそうだから」とにべもなく返された。
出席番号1番だけは、校長が卒業証書の全文を読む。堅苦しい決まり文句が流れる間、青八木は満場の生徒に背を向けて直立し続ける。
「貴方は本校において、普通課程を卒業したことをここに証する」
全文と言えど、ごく短い時間だ。鏑木は瞬きも惜しみ、小柄な壇上の姿へと顎を掲げる。
今日の青八木は、後ろ髪を束ねている。前髪を上げている様子は見たことがあったが、この形は初めて目にした。
(卒業式だからかな)
そういうけじめか、と心中で忖度した。つややかな毛束は、ブレザーの上でゆるやかなカーブを描いている。普段が隠れている、首筋の皮膚が見える。
卒業の日付を以て、校長が証書を読み終える。一礼して、青八木が証書を受ける。脇に逸れたところで、出席番号2番の名が呼ばれる。
「あかかぶ、けんじ」
太りじしの2番が、青八木と肩を並べる。再度礼をして、1番はステージの中央を後にする。
(青八木さん)
横に向くと、普段垂らしている髪も耳の上にかけられている。制服の時には見えない、凛とした横顔がはっきりと見える。
(横顔を見てるのは)
自転車で並走している時だったな、と鏑木は思い出す。
(だが、今日は)
まっすぐに進む青八木が、鏑木の方に視線をやることはない。
(完)
back