携帯端末に保存したパンケーキの写真を見せると勘解由小路の眉間の皺はさらに深くなった。
あーあ、と思う。
勘解由小路の陶器のような肌は、肌だけは、飴村は好きだった。
むろん触ったことはないのだが。
「えっへへー、可愛いでしょ。これが一番人気の、」
「御託はいい」
「評判のお店なんだけどなー、すっごくおねーさん達が並んでたし」
「目撃者は充分ということだな」
勘解由小路の言葉に、飴村は頷いた。
「あいつは……寂雷は目立つ」
店を訪れたその日のうちに、爆発的な速度でソーシャル・ネットワーキング・サービスや匿名の電子掲示板を媒介に飴村と神宮寺の目撃情報は拡散されている。
あらゆる角度から撮影された腕を組んで顔を近づけて笑い合う、微笑ましいだろう姿。
網膜に焼き付く程度には、飴村は被写体の意思を無視したその写真群を視認している。
「貴様のその態度がどう判断されるかはわからんがな」
「ええー、僕すっごくすっごく頑張ったのになあ」
行列に並ぶのは好きではない。ただし並ぶ過程に意味があるのであれば、その限りではなかった。
舌打ちし、勘解由小路は報告書に視線を落とす。
飴村との一定の距離を崩そうともしない。
「じゃあさじゃあさ、次は路チューでもしたらいいのかな? 無花果おねーさん、大胆~」
提案すると、睨まれる。
(またこの目か)
汚らわしい。勘解由小路の瞳は言葉よりも雄弁に罵倒してくる。
無言の罵倒の回数は、ここしばらくで増加していた。
「だって、僕と寂雷がいちゃいちゃしてると、噂になって、ラップバトルが盛り上がるんだよね? 無花果おねーさんはバトルを盛り上げたいし、寂雷に寄ってくる変なおにーさんもおねーさんも減るし、いいことづくめじゃん?」
(どれも、中王区にとっての話だがな)
と、これは心中で付け加える。
結果の話をすれば、そうだ。そうではあるが目の前の女にとっても飴村にとっても、そもそも望んで得た状況ではない。
「前にも言ったが……俺の方でもこの事態は計画外だ」
碧棺左馬刻と山田一郎はともかく、と飴村は重ねる。
「あいつらのことは予想できたが。あの二人は放っておいてもいいのか」
「ふん、神宮寺寂雷か」
勘解由小路は吐き捨てる。
「ああ」
神宮寺寂雷に近づくこと、ラップバトルに興味を持たせること、監視と管理……が飴村の任務の一部だ。管理業務の中には、神宮寺に下心を持って近寄ってくる人間の排除も含まれている。
忠実に排除を行っていたが、まさか当の自分が神宮寺に好意を抱かれるとは想定できなかった。
(あいつは幼い容姿の人間が好きなのか?)
わからない。
過去に受け取った神宮寺の身辺調査情報には、恋人の好みは記入されていなかった。
「不穏な情報は報告しろ、と言ったのは中王区の方じゃないのか」
「そうだ。ああ、確かに異常だな」
飴村が作成した、神宮寺と外出した場所、神宮寺との会話、指を絡めた場所と時間、触れ合った箇所……の記録を勘解由小路は壁に叩きつける。乾いた音がする。
神宮寺の告白を報告したときに「正気なのか」と漏らした、湿った声とは大違いだ。
(こいつらにとって、人間がクローンに恋愛感情を覚えるのは異常な状況なのか)
異常なのだろう。
指の触れた部位の体温が上がり、相手の脈拍が上昇し、名前を呼ぶ声が上擦って空気に溶ける。
髪の毛が首にあたり、身をよじる。
分け合って食べたチョコレートの甘味が蘇り、視界が反転する。
ハッピーアイスクリーム。
……異常だ。
思い出すだけで鳥肌が立つ。
「碧棺左馬刻と山田一郎が」
と勘解由小路は言う。
「身動きとれない状態になるのは回避しろ」
「はいはーい、了解だよ」
勘解由小路の口から色恋の話題が出るのは面白い。
「左馬刻と一郎の愛を深めつつ、ドロドッロのヘドロ塗れの泥沼には、まだまだ陥らないようにすればいいんだよね?」
うっすらと飴村は愉快な気分になる。
こんな話なんて勘解由小路はしたくはないだろうに。
闘争と支配、統治と従順がこの女には似合っている。
どんなメゾンの一点物よりも、宝石よりも、勘解由小路にはふさわしい。
(あの二人にはせいぜい人生謳歌してもらおうか)
「じゃ、ダブルデートのドッキドキなラブメールを一斉掃射しないとね。もちろん無花果おねーさんにも連絡するよ」
「神宮寺寂雷とは今の状況を維持しろ」
「維持、でいいんだな」
「適度に人目を惹きつけて、適度に噂をばらまかせろ。お前は得意だろう」
「ああ、そうだな」
飴村は天井を仰ぐ。前暦の名残がある無骨な建物。
全身がニコチンを求めている。
息が苦しい。
「それから」
「それから?」
「非常識な行為は慎め」
「飴村乱数」の辞書にはない単語だ。
素直に飴村は首をかしげる。
「ヒジョーシキってなぁに? 僕わからないから、無花果おねーさんに教えて欲しいなっ」
返すと勘解由小路は心底、軽蔑の表情になった。同時に飴村の下腹部を視線が射抜く。
視線に物理的な力があれば体に穴が開いていただろう。
いやむしろ勘解由小路自身が、できることならこの場で飴村を下半身から引き裂きたいと感じていることは、想像に難くない。
「手段はお前が考えろ」
(たとえば他の女と、か)
不道徳な命令の内容と裏腹に、勘解由小路の言葉には無菌病室の貫徹しかない。
血の色で縁取られた、柔らかそうな唇を飴村は見つめる。
神宮寺の口にはない色だった。
「俺はそれでも構わないが……寂雷がどう思うかはわからない。不和につながる恐れがある」
「なったらなったで対処しろ。バトル以外で体に負担をかけるほど、貴様は愚かではないだろう」
報告書にまとめていない抱擁の熱の記憶。空から垂れるような、光の糸を思わせる髪。まばゆくて目を瞑る。力をこめて白くなる爪。
(慎めということは、禁止するという意味ではないな)
異常な状況は、中王区を揺るがす因子ではないと判断されている。
「これ以上、失望させるな。だいたいお前の」
ゆっくりと勘解由小路は続ける。
呪いじみた言葉を、魔法を解いて人形を土塊に返す呪文を。
魔法陣みたいな天井の模様。
「俺の体に、そういう機能はない。厄介な状態は俺には訪れない。考える必要はない」
飴村は答える。
それからなぜか目の前の女を、飴村の知る限り地上でもっともピンク色の似合う女を、一瞬だけ哀れに思った。
(了)
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