共同で犯罪を犯した二人を捕まえて別々の部屋に入れる。一人に言う。「二人とも黙秘するならどちらも二年で解放し、自白するなら五年で解放してやる。もしお前が自白して相手が黙秘すればお前は今すぐに解放してやる。ただし相手は十年後に解放される。相手が自白してお前が黙秘した場合は、お前が自由になるのは十年後だ」もう一人にも隣の部屋で同じことを言う。






ヒイラギの葉とリボン、金色のベルで飾り立てられた玩具屋に足を踏み入れる。暖房器具の熱気と店内で流れる甲高いベルと子供の声の合唱曲が一気に押し寄せてくる。
棚から山田一郎は紙箱を手に取った。前面がビニールの箱の中に収められているのはマイクだ。
ボタンを操作すると内臓されたライトが点滅し、ワンフレーズの曲が流れる。
昨年は、この棚に陳列されていたのは光線銃とかビームサーベルだった、と思う。
政府の武器根絶の方針は玩具業界にも影響しているようだ。
(まあ、悪いことじゃねえんだろうけど)
入り口の近くに並べられた魔法少女のステッキも先端は丸いマイクの形をしている。リボンと宝石でデコレーションされたステッキ。
箱に添えられたロゴも、グラフィティアートでよく目にする踊っているような手書き風の字体だ。
「一郎君、どうですか」
スケッチブックとクレヨンを抱えた神宮寺寂雷が声をかけてくる。
「そすね」
一郎は買い物かごを持ち上げる。オレンジ色のかごにはサッカーボール、プラスチック製の野球バット、トランプ、将棋盤、ぬいぐるみ、きらきら光るシール、とシール剥がし、キャラクターの付いたノートが入っている。
「流行り物は好みがあるんすよね、長く使えて、できれば皆で遊べるものがいいんじゃないかって」
「なるほど」
神妙な面持ちで寂雷は頷く。
「参考になります」
「俺のとこのやつらは、ボードゲームとか、スポーツ好きなんで、病院の子達とは好みが違うかもしれません」
施設の仲間達がスポーツやボードゲームを好むのは、多分に二郎と三郎の影響もあるだろうと一郎は思う。身近にヒーローがいるとその領域には足を踏み入れやすくなる。サッカーは特に人気があったし、算数に興味がある子供も多かった。
「病院ですと、スポーツは難しい子もいますね」
「あー、あとは本とか……これもまあ、好みか」
(ラノベはシリーズ物が多いしな。揃えんのは大変だ)
「絵本や図鑑はよいかもしれませんね」
「里親、さんのとこの方針すね、ある程度は話聞けてますけど」
文房具、服、学用品……と必要なものは多い。里親の人柄は保証できるが、引き取り先の家計にはばらつきがある。困窮した状況の者はいないようだが。
「この時世です。里親の方々を探すのは、大変だったでしょう」
「いや、それは」
一郎は黙る。暮らしていた施設がなくなってから、里親探しに奔走したのは確かだ。一郎には真っ当な大人への繋がりがない。子供を食い物にせずに愛情を注ぐことができる人間。昔は世間に溢れていたはずの当たり前の人間まで辿り着けない。
「ダチ、の、いや俺はダチって思ってるんですけど、そいつのツテです。そいつ寺の子供なんで、檀家さんとか」
「そうですか、お寺の」
一郎の逡巡に気がついているのかいないのか、寂雷の態度からはわからない。
「一郎君にはいい友人がいますね」
「はい。ダチの運はいいみたいす」
一郎の育った施設の基盤は薄汚い汚泥だ。吐き気がするような偽善の臭いのする泥。だが、泥の上に生きる人間が泥の正体を知る必要はない。
里親に引き取られた仲間が、鳳仙玄鳥の正体を知る必要はない。
少なくとも今は。
「俺がいたのは、クソみてえな場所でしたけど、楽しいこともあった……と思います。誕生日とかクリスマスとかは、サンタも来たしケーキだって食えたし」
数少ないイベントはきらきらと光る思い出だ。一郎はその思い出を良いものだったと、せめて彼らに思っていてほしかった
「それで彼らのためにサンタさんをやろうと」
「そっすね。幸い、臨時収入もありましたし」
ただ、施設の仲間にプレゼントを贈るのはこれが最後だ。
(あいつらにはあいつらの人生がある)
それは里親と寄り添いあいながら、彼ら自身が決めるものだ。
一郎が関われるのはここまでだった。
(それに施設のことは本当は忘れた方がいい)
「今日は、誘ってくれてありがとうございます。こういう店も楽しいものだね」
「用事がなきゃあ来ませんよ」
(寂雷さん、マジで楽しそうだな)
「こういうの、乱数好きそうっすね」
小型のゲーム機を一郎は指す。けばけばしい筐体は戦争よりはるかに前の時代を思わせるレトロなデザインだ。
「そうだね、飴村君はこういうものが好きですね」
同じチームの飴村乱数の顔を一郎は思い描く。
ファッションデザイナーである彼女は現在年末のイベントの準備で忙しいようで、事務所でもほとんど見ることがなかった。
「そういえば乱数に会ってます?」
「用事ですか?」
「あ、いえ」
質問してから一郎は後悔した。事務所で寂雷と二人で出かける話になったときに、碧棺左馬刻に乱数にも断っとけよとは言われていた。
(連絡はしたけど、読んだかはわからねえ)
あっけらかんとした性格の乱数が、寂雷と一郎の外出を気にかけるとは思えないが。
「急ぎなら伝えておきますよ。夜に会うので」
「……そういうわけじゃあ、ないです」
(会うのか)
会うよな。まあ、そうだよな。一郎は納得する。恋人同士が夜に会うのはおかしいことではない。
「飴村君、一郎君に会いたいって言ってましたね」
「お互い年末は仕事増えますからね」
「ふふ、飴村君は一郎君のこと、妹みたいに思ってるみたいですよ」
寂雷の発言に妙に恥ずかしくなって、一郎は首を回した。積木、玩具のDJブース、レーシングカーの模型、人形、人形の服、人形の家。
「……そういえば、昔……人形で遊んだことがありました」
一郎は思い出す。
子供の時分は外で遊んだ記憶が大半だ。既成の玩具よりも虫を捕まえたり石で遊ぶ方が好きだった。家の中で、着せ替え人形で遊んだ経験はほとんどない。
だからあれは雨の日だ。
いつのことだっただろう。
一緒に蘇るのは、激しい雨の音、香辛料と不思議なタバコの匂い、見覚えのない言語のラベルが貼られた魚の缶詰の記憶だ。
(外は危ねえからな。今日はこれで遊ぶんだ)
差し出されたのは着せ替え人形だった。
今思えば相当に古い人形だったと思う。人形の目のペンキは青く塗り直され、樹脂製の肌は清潔に洗われていたが、可動部は奇妙に軋んでいた。
きっと自分は嫌がったのだろう。
(じゃあゲームにするか)
自分は人形の、ペディキュアを施された桃色の爪を見ている。
(一郎、お前とこいつは仲間だ。一緒にいろんなこともやる……まあちっとは悪いこともあったかな)
指の腹に当たる人形の髪の毛はさらさらとしている。シャンプーでもされていたのか、甘い匂い。
(言い訳すると、それはお前にもこいつにも目的があった……いわゆる信念ってやつだな。何よりも優先しなきゃあいけねえ大事なもんがあったわけだ。が、ある日捕まっちまう。そうすると怖ーいお巡りさんがお前とこいつに言うわけだ。お前達のやった悪いことを白状するか黙ってるか選べってな)
人形を手渡してきた手が、今度は銀色のアタッシュケースを持ってくる。
鍵のかかるカバンに人形を入れる。
(お前とこいつは相談することはできねえ。お前が全部話せばお前だけは逃げられるかもしれねえな。こいつは長いことこの中にいることになるが)
ひどい、と自分は憤った気がする。
そんなひどい話があっていいのか、と。
(そういうルールなんだよ)
緑色の目が瞬きをする。
(……ゆっくり考えろ。雨が止むまでな)
一郎は窓の外を見る。
空から降ってくる大粒の激しい雨。電話の音。
待ってな、と声をかけて、男は……そう、男だ。タバコの匂いがする長身の男、彼は部屋から出ていく。
自分は考えている。
長い時間が経った気がする。
(……懐かしい)
別の声がする。懐かしい声が。
おはよう、と幼い自分の声。どうするの、これと懐かしい声は尋ねる。
(俺は、言わない)
(どうして)
(信じてるから)
(何を信じてるの)
仲間を、と言ったのか、自分の信じているものを、と答えたのかはあやふやだ。
ただ答えを聞いたときに、声の主は不思議そうな顔をした。
(この子のことなら心配しなくていいのに)
(どうして?)
ほら、とまた人形が現れる。アタッシュケースに閉じ込められた人形と瓜二つ、寸分変わらない人形だ。
アタッシュケースを振ると中では人形がかたかたと音を立てた。
(でも)
(もう一人いるよ)
肩までの長さの髪の人形が並べられる。
心も体も全部一緒だよ。
この子の目的はこの子が叶えるから。
(でも)
(うん)
この三人はきょうだいじゃないの?
自分の声をはっきり覚えている。
(きょうだいだと思うんだ?)
(うん)
(思うんだ。みんな違う子なんだって)
(うん)
左右違う色の瞳の持ち主は首を傾げる。右の緑色の目に自分が映っている。
(きょうだいは大事だね)
(うん。きょうだいは、だいじ)
(きょうだいがいたら寂しくない)
(さびしくない。ずっと楽しい?)
……そういえば、あのとき二郎と三郎はどうしていたのだろう。
男が戻ってくる。
ようやく天の岩戸が開いたかと言う。明日は晴れるな。メシ食えよとも。
(一郎、答えは出たか)
(うん)
一郎は頷いた。
鍵を握る。力を込める。
鍵を破壊する。
中にいるピンク色の髪の人形を取り出す。
……。
「一郎君?」
「あ、すみません」
寂雷に声をかけられて一郎は我に返った。
「……そう、昔遊んだ人形がいたんすよ。結構昔の玩具だと思うんですけど、オークションとかでも見たことないんですよね」
「海外のお人形だったんでしょうか」
「かもしれませんね。名前はなんだっけ……」
愛らしい表情の人形達を一郎は思い描く。
「そうだ、確かドリーちゃん人形って説明されました」
一郎は嘆息する。結局一度しか遊ばなかった人形。おそらく本当の名前は他にある人形。
リペイント以外にもカスタマイズされていた人形。
「変な話しちゃってすんません」
「興味深かったですよ。以前、尊敬する人と子供の頃の話をしたことがあって」
「寂雷さんの子供時代、なんか想像しにくいっつうか、失礼だったら悪いんすけど」
「だいぶ前のことではありますからね」
レジに並ぶ。
あのときの自分の行動は正解だったのだろうか。
ゲームの終わりを告げられた記憶はない。
記憶にあるのは
(……どうしてこの子達の髪の毛はピンクなの?)
睫毛も、爪も可愛らしい桃色だ。
三体の人形を一郎は壊れたアタッシュケースに立てかける。
(好きなんだよ、ピンク)
一郎の質問に苦虫を噛み潰したような顔で男は言った。





(了)

index