眩い明かりと軽快な音楽、タバコの匂い。
スーツに金色のアクセサリーの男達が店内を闊歩している。
女性の服装は両極端だ。惜しげもなく腕や脚を晒している者と、ほとんど顔まで布地で覆っている者と。
時折漂う殺気がタバコと不思議な香の匂いと混ざり合う。もう何年もこの店の空気はこうやって醸造されてきたのだろう。さっき攪拌されたばかりなのに、匂いはカウンターの傷や椅子の布地によく馴染んでいる。
明らかに違法の賭場でございますという雰囲気ではある。ではあるが、頼んだ漬物と豆腐が旨い。
「食べる物に罪はございませんからねえ」
「そうだねー、このカクテル可愛いよね」
隣で寛いでいるのはチームメイトの飴村乱数だ。シブヤの有名人である彼女はもはや賭場に入るのに誰何されもしない。揺らすグラスには、ピンク色のカクテルとさくらんぼが飾られている。
中央の卓には人が集っている。それは欲望を集めるそのテーブルが一際明るいからだ。
もちろん一番輝いているのは
「ダイちゃんー、やったれ!」
男女入り混じった歓声が響いている。
「人気者だねぇ。帝統」
「勝っても負けても面白い御仁ですから、あの人は」
「退屈しない?」
「乱数もそうなんじゃないですか?」
「質問を質問で返すのってどうなのかなー」
ゲンタローは照れ屋さんだねっ、と乱数はグラスに唇を寄せる。外見を裏切る妙に大人びた仕草だった。
「帝統、よくなくなくないみたいだね」
「本日の帝統はんは勝利の女神とやらに、見放されているようでありんすねぇ」
中央の人集りの切れ目に夢野幻太郎は視線を遣る。乱数と同じく、チームメイトの有栖川帝統の姿がそこにはある。ぼさぼさぼさの髪、凛々しい眼、あざ黒く引き締まった体……を覆うのは今は下着だけだ。
「あんまり見てるとバレちゃうよー」
「そうですね、小生達が巻き込まれかねない」
「あはは、それはそれで面白いけどね」
歓声がまた大きくなる。
(案の定か)
帝統が黒いブラジャーを投げるのを、乱数のコンパクトミラーで幻太郎は確認した。現れた瑞々しい果実のような乳房を隠しもせずに、再び卓に腰を下ろす。腕を組むと二つの脂肪の塊が柔らかく潰れた。
「またこのパターンか」
「帝統は裸になるのが好きだよね」
「好きというか、抵抗がないんでしょう」
次の勝負が始まる。
ざわつく空気の中には一筋、嫌な匂いが混入している。
幻太郎は黙る。
「乱数」
「ナニナニナニナニナニナニ?」
「今度は何を賭けてるんですか、帝統のやつは」
「パンツじゃないのぉ?」
「そんな価値がありますか……まあ人によるのか」
「んー」
乱数が通りかかった黒服の女性に声をかける。
顔を近づけ、何事かを囁いている。
「へえ」
口の端がわずかに歪んだ。
「なんですか、乱数」
「パンツだって」
「……本当にそれだけですか」
「幻太郎、どう思う?」
「貴方がその言い方をする、ということはそれだけではないんでしょうね」
また負けたらしい。帝統が下着に手をかけ、それから何事かを対峙する相手が口にする。帝統がため息を吐く。汗と熱気で濡れた乳房が上下する。
と、何かに気がついたみたいに目が輝いて
(子供のような顔をする。こんな場所だっていうのに)
「おーい、乱数、幻太郎……来てたのかよ。ちょうどよかった」
「貸さないよー」
乱数ちゃん、夢野先生も……というギャラリーのざわつきを他所に乱数の返答は冷淡だ。
ひらひらと手を振る。にべもない。
「今日はゲンタローとデートしに来てるだけだもーん」
「ぐぬぬ」
「ダイジョウブだって、帝統なら。ファイト一発だよ!」
「何を賭けてるんですか。貴方」
問いかけの返答代わりに帝統は肩をがっくりと落とした。
観念したのか、カードを掴む。
「赤ちゃんだって」
カードの動きを乱数はじっと観察している。
明日の天気の話をするみたいな口吻だ。
ラメの入った桃色のリップ。塗られた唇から飛び出すのは魔法の呪文では断じてない。
「はい?」
「今の相手、帝統にゴシューシンらしいよ。帝統に自分の子供産んでほしいんだって」
「はああああ?」
「ヤバいよね」
僕もモテるけど、そういうモテ方はいらないなあ。乱数は笑う。
「……いいんですか、乱数」
「なんで?」
「別に小生とて手持ちの金がないわけではないですが」
「あははは、ゲンタローはやっさしいなあ」
乱数がさくらんぼをグラスから掬いあげた。
果実と、幻太郎を順番に見た。
「だって帝統、助けてって言わなかったし」
「言えば、貸したんですね」
「もっちのろんだよ。面白そうだし」
回答は簡潔だ。
「じゃあ帝統の子供はどう思います。貴方は面白いと思いますか?」
「んー」
乱数が瞬きをする。一回、二回。
ピンクの色が散った青の目に映ると欲望のぎらつく賭場は空っぽのおもちゃ箱みたいだ。
「わかんない」
(ふむ)
幻太郎は思考する。現状、乱数の中で「面白い」の箱に入っていない……というところは乱数の望む事態ではないということでもある。
「それを聞いて、少しですが安心しましたよ」
「あ、帝統チョーシいいみたい」
乱数が指差す。
周囲の反応を見るに、確かに帝統の方が優勢のようだ。それにしても
「ずいぶんとつまらなさそうですね」
帝統の表情は浮かない。決まり切った文章を写させられているときみたいに退屈そうだ。
五枚のカードを裏返す。キング、クイーン、ジャック……。
「おや、これはこれは」
「勝ったの?」
「はい」
「よかったねっ、ゲンタロー」
乱数のグラスの中にはさくらんぼの種と蝶々結びされたへたが入っている。
「さあて、あのギャンブル狂を回収して帰りましょうかね」
幻太郎は立ち上がった。





「お疲れ様、帝統」
「おう、てかお前ら貸してくれたってよかったじゃねえか。友達だろ」
「ええー、だって貸したら帝統、明日の夜までギャンブルしてそうだし」
「いいじゃねえか。倍にして返すからよ」
「と、言ってこの間のお金は一体いつ返してくれるんでしょうねえ」
店の中の明るさと喧騒が嘘みたいに、夜のシブヤはしんとしている。街灯でできる影が濃淡を作り重なり蠢いている。
「それは……ほら、あれだ。次のギャンブルのときに……な?」
「な、じゃないですよ。というより、今日みたいな勝負は流石に危ないのでは?」
「今日?」
帝統と乱数が同時に幻太郎を振り返る。
「なんだっけ」
「なんだろーね?」
(この二人は……)
帝統と乱数。
外見もラップのスタイルも似ていない二人だが、稀に漂う危うさは似通っている。
「そういえば何しに来たんだよ、賭けに来たわけじゃねえんだろ」
「そうそう。えーとね、何だっけ」
視線のパスボールを乱数が幻太郎に投げてくる。
「こんな夜に『アイスが食べよー』と言って連絡してきたのは貴方では?」
「あ、そうそう。アイス食べたくなっちゃったんだっけ。うんうん」
「なんじゃそりゃ。あの店アイスあったか?」
「え、食べてないよ」
タイミングよく現れたコンビニエンスストアに乱数は入っていく。
「奢ってあげる」
「マジかよ」
拝みながら帝統は乱数に続く。外の蒸し暑さが嘘みたいに涼しい店内では、乱数が衣装提供したことがある女性シンガーの曲が流れている。
「はい」
購入したアイスを乱数が差し出す。袋に入った小さな球状のアイスだ。黄色の袋にピンクのロゴ。
今日からの限定販売だというそれから、幻太郎は紫の球を選ぶ。
「帝統はこっちかなっ」
乱数の投げる緑色の葡萄味のアイスを口で帝統は受ける。
「はんまいいんあいふんなよ」
「はい?」
「心配いらねえよ」
ピンク色のアイスを齧る乱数を横目に帝統が言う。
「俺はあの手の勝負で負けたことねえよ」
「そう、なんですか」
「つか、あいつシブヤでは初顔だな」
ここいらであんな勝負するやついねえよ、男で女でも犬でも猫でも。白けるだろ。帝統はアイスを噛まずに飲み込む。
「おや、そうなんですか」
「俺の一人勝ちになるからな」
勝利の話をしているのに、帝統は退屈そうだ。
「つまんねえよ。勝つのわかってる勝負とか、クソだろ」
「そうですか」
シブヤで一番盛り下がる勝負だと帝統は続ける。たとえ帝統がいない場であっても、と。
帝統の言うことが本当ならまるで賽子の神様に守られているようだ、と幻太郎は思う。
「そもそも、チップにするべき対象ではないと思いますけどね」
ある意味、賭場の治安を守っているとも言える。
「はああ、命張る方がよっぽど興奮するぜ」
「どうしようもない人間ですね貴方は。……ところで帝統、このアイスクリン、木になっているんですよ」
「マジか……」
「はい。だから埋めておくと芽を出します」
「つまりアイス食べ放題ってわけか」
「ふふ、そうなります。まあ嘘ですけど」
「おい」
迫る帝統の口にアイスを押し込む。帝統の口の中で右に左にと、アイスが移動していく。膨らんだ頬を指で突き、帝統の賽子の神とはどんな顔をしているのだろうかと幻太郎は考えた。




(了)


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